小笠原母島にいた時(30年前)は、以前にも書いたように本当に都会とは違う生活。
本屋もレコード屋も喫茶店も洋服屋も薬局も、島なのに魚屋もない。
テレビもない、電話もない、ラジオもない。
でも、上下水道完備という本当に整備途中の島でした。
当時の母島は、今よりも森が濃く、父島とも違うどっしりとした密度の濃い森が印象的。
自宅→学校→スポーツ→タコノキ(居酒屋)→自宅の平日と違い。
休みには仲間の先生に誘われて山に入ることが多くありました。
印象深いのは、星典(ほし あつし)さん。
鍛えられた体は、島の将来の指導者として小さい頃から長たちから過酷な訓練を受けたから。
卓越した小笠原の植物の知識をもっているのは、戦前島の資源植物栽培基地化への調査で入来島した日本の代表的植物学者に森やそこに生える植物を案内し、ともに過ごしたから。
返還後オガサワラビロウ(シュロッパ)で自宅を造り(5万円で)、母島の復興に打ち込んだそんな星さんと、ときどき山に入っていた。石門周辺(今は保護地域)の固有植物を案内しながら教えてくれたり、みんなで絶滅に瀕したハハジマノボタンを守るため、乳房山山頂付近でタコヅル(これも固有種だけど)を伐採したりした。
山から戻ると、星さんの家の庭で植物の話を聞いていた。当時は、それほど熱心な小笠原っ子ではなかったので、記憶が薄れるのが早かったが、2度目の赴任だったら食いついていただろう話がたくさんあったと思う。
うちにある星典さんの本や、彼が製作した植物を使った花瓶をみると、当時が強く思い出される。今のリゾートは違う、濃密な本来の小笠原の空気感。
その原点ともいえる星典さんと一緒の時間を過ごしたことは、大きな財産として私の心の中心にある。幸せだったな。そう思える出会いだ。
星さんはよくこう言っていた。「小笠原は神がくださった楽園よ、だからこの人生を最高に生きたいよなあ。」
小笠原への本当の愛を感じる。
星さんの生き方は、今でも「人生を最高に生きればいいんだよ」と心に響いてくる。
写真上:星さんの本。「小笠原は楽園。森と農地のボニノロジー」古い本だけど廃版になっていない。びっくり。
写真下:戦後見つかったいないトヨシマアザミを探していた星さん。これは疑わしい一本。(星さんの庭で)

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