男性性。以前にも書いたが、このバランスが崩れているというお話。
今日、教員時代からお世話になっている方と話していたら、こんな話を聞きました。
ある会合でリタイヤした方と話す機会があったとき。
相手の方が、以前勤めていた時の名刺を渡したそうです。
また、リタイヤされた方々が集まり話しているのは、どこでどんな役職にいたとかをお互いに話しているようです。
このようなことは、すべての人そうというわけではないでしょう。
しかし、一生懸命働いてリタイヤした途端、自分のアイデンティティが崩れる。
自信がなくなってしまう。過去に依存してしまう。
そんな傾向があるようです。
ここで、自分の人生をしっかり楽しく生きるためには、どこにも属さないことに耐えうるしっかりした個のエネルギーを強めることが大事だと思います。
今日テレビを見ていたら、「好きなことをボードにいくつ書けるか」という街頭インタビュー。
結果は、男性は女性の半分。男性は書けなかったことについて、言い訳をする。
現代の男性は、凝り固まった概念で自分をとらえエネルギーを枯渇させているのです。
いまこそ、自由になったリタイヤした方々こそ、自分の真の男性性を取り戻し体から光り輝くほどのエネルギーを取り戻すことが必要です。
(たまには、船旅もどうぞ。おがさわら丸デッキから)
先日、車を買い替えた。
前の車はシルバー。汚れな目立ちませんよというアドバイスで購入。
確かに汚れは目立たない。
でも、汚れが目立たないのはいいことなんだろうか。
今度我が家にやってきた真っ赤な車を見て、ふとそう思った。
黒や白、そして案外赤も汚れが目立つ。
引き取られていったシルバーの車をよく見ると、汚れている。
思い返すと1年間に数回洗車しただけだった。
汚れが目立たないのと汚れないは別物。
手入れしなくていいという概念が刷り込まれていたようだ。
人間の場合は、あえて汚れを見ないように刷り込まれていることが多い。
見てしまったら、怖れや自己嫌悪感がわいてくることがある。
嫌な気持ちになるから見たくないのもわかる。
でも、人間も自分のさまざまな種類の汚れに気づいていくことは大切。
我が家にやってきた車の鮮やかな赤を見ていると、
汚れが見えた方がこの鮮やかさを保てるように思った。
(今日は赤つながりで、赤いベゴニアをどうぞ)
先日から、クリアサイトのクレアボヤント(透視)のインターンプログラムに参加している。
卒業直後に参加したときと、自分が少し変化している。
それに気づくとてもいい時間となっている。
改めて、エネルギーを見ることの大切さを感じた時間。
同時に、自分の中にあるまだ解消されていない部分の再確認。
仲間に再会するのも心が和む。
自分の中に滞っているエネルギーを捨てていく時、
同時に自分の中の力を意識するようにし始めた。
自分に必要のないものと自分に備わっているもの
両方感じとりたいと思っている。
そして、どちらにも執着しないようにしたいと思っている。
自分のうちなる力を素直に認めることが大切。改めてそう思った。
(写真)今日は、1ヶ月後にのるであろうおがさわら丸からの海をのせますね。
いいところですよ。皆さんもどうぞ。
クリアサイトに通っていた時、自分の課題の一つに
男性性があった。
男性性に問題!?じゃあ、女性的なの?
そんな質問を奥さんにした人がいた。
これはエネルギーの問題で、教員という仕事をやっている時。
生徒のさまざまな気持ちを受け取り精神的に包容していく女性性の側面と、確固たる方向性を打ち出していく男性性とのバランスが大事だった。
ワーカホリックのように働いていた時、心がすり切れ始める。
すると不思議なもので、男性性が先に弱っていった。
他人から見るとそれほどの変化はないというのに。
世の中をみると、バリバリ働いているようでも、
男性性が枯渇して、焦りや低い自己評価の状態に陥っている男性が多くなっている。
これは、一生懸命の生活で生まれた状態。恥ずかしいことではない。
でも、本来の自分らしい、素敵な自由な男性性を回復することが大切。
男の人は、自分の不安や弱音を人にいってはいけないと刷り込まれている。
甘えたいのに甘えない、泣きたいのに泣かない。
ざらついた現代を生きるには、酒や快楽でごまかさず、
自分の男性性をエネルギー的に回復させることが必要。
朝起きて、心がすこしざらついている自分を見て再確認した。
今度、男性性強化ミニワークショップでもしようかな。
(写真:小笠原でシーカヤックを漕ぐ。素直で強く優しい男性性が強化される瞬間)
小笠原に行くことにした。
なんで迷っていたのかわからないが、動き出さない自分がいたように思う。
島は大好きだけど、長く住んでいる間に、年齢を重ね
いろいろな基準を自分の中にしみ込ませていったように思う。
23歳。小笠原母島に赴任した時。
テレビもない。ラジオも入らない。電話も通じない。
店に品物がない。本屋もレコード屋もない。同世代の女の子もいない。
でも、楽しかった。自然と人間とすべてが一体感。
これが原点だったんじゃないか。
25歳で離島する時。島のため自分のために戻ってくる。
そう願ったんじゃないか。
今、原点に戻る。
最近は、ひねくれた大人の思考で島にいた。
原点に戻り、純粋な目で眺め、過ごしてみようと思う。
(写真は、コーヒー山プーランビレッジと私の洗濯物)
小笠原に住んでいた頃。
学校から、自転車に乗って道に出た。
西町の方を見ると、ヤシの影が鮮やかに明るい路面に
はっきりと陰影を映し出していた。
7月の昼すぎの熱気よりも、その陰影とその奥にある
西町の庭の緑に吸い込まれていった。
この光景は、折に触れて出てくる。
幸せな瞬間だ。
今日、日差しの中で思い出した。
(写真は、中山峠へ向かう山道。小笠原観光協会をみると地名等わかります)
青く晴れた空を見つめていて、
海は今どうなっているのだろう。
そんな思いがわいてきた。
小笠原にいた時、森の木々の音や
空気の少し湿っていくにおいの変化で
天気の変化がわかった。
公務員として、生活していたのにそこまで感じる。
自然の中にいると感じ取れるようになっていく。
自然と生活が一体となった人たちは
どれだけ変化をナチュラルに感じ取れていたんだろう。
カヤックで海に出る。
小さな雨雲の下にスコールが降り、
雲の中心に風が吹く。
そんなことを、風に吹かれながら考えた。
久しぶりにサンゴダストの砂浜に足をうずめてみたくなった。
あの暖かさがね、いいんですよ。